兵庫県宝塚市で2020年に家族3人をボウガンで殺害した野津英滉被告(28)が2025年9月30日の神戸地裁で「死刑になりたかった」「3人以上殺さないと死刑にならないと学校で習った」と証言しました 。
この衝撃的な動機は、単なる家族間トラブルを超えた「拡大自殺」という現象の典型例です。
本記事では、なぜこのような歪んだ思考に至ったのかを心理学・犯罪学の観点から分析し、類似事件との比較を通じて防止策を考察します。

証言から読み解く「拡大自殺」の心理構造
自殺願望が他者への攻撃に転化するメカニズム
野津被告の「一人で死のうと思ったが、自殺するだけでは理由をわかってもらえないと思った」という証言は、典型的な 拡大自殺 の心理構造を示しています。
精神科医の片田珠美氏によると、拡大自殺とは「本人が絶望感にさいなまれ、強い自殺願望を抱いているが、1人で死ぬのは嫌だ、バカらしい、と考え、だれかを巻き添えにして死のうとすること」と定義されます。
この現象の背景には、自殺願望と復讐願望の複雑な絡み合いがあります。
自殺願望は本来、他人への攻撃衝動が内向きに転じたものですが、それが再び外向きに反転することで拡大自殺に至るのです。
野津被告の場合、家族への不満というストレスが自己破壊的衝動を生み、最終的に家族への攻撃として現れました。
「3人殺せば死刑」という歪んだ認識の形成過程
最も注目すべきは「死刑になるためには3人以上殺さないといけないと学校で習った」という証言です。
これは単純な法的知識の誤解ではなく、死刑制度を自殺の手段として利用しようとする計算的思考 を表しています。
実際、2008年の茨城県土浦市無差別殺傷事件でも、犯人は「複数の人を殺せば死刑になると思った」「一番手っ取り早く他人に殺してもらえるから」と供述しており 、同様の動機構造が確認できます。
これは「死刑のための殺人」という拡大自殺の一形態なのです。
類似事件との比較分析
日本の拡大自殺型事件の共通パターン
野津被告の事件は、日本で2000年代以降に発生した一連の拡大自殺型事件と共通する特徴を持っています。
秋葉原無差別殺傷事件(2008年) では、犯人が事前に「もう自殺したい」と考え、実際に自殺未遂を経験していました。
その後、土浦事件に触発される形で無差別殺傷に及んでいます。
川崎登戸事件(2019年) も典型的な拡大自殺とされ、犯人は事件後に自殺しています。
これらの事件に共通するのは:
- 長期間の社会的孤立と欲求不満
- 失職や経済的困窮などの喪失体験
- 「自分の人生はもう終わりだ」という絶望感
- 復讐願望を伴う自殺願望
野津被告も2年間の計画期間中、同様の心理状態にあったと推測されます。
家族を標的とする拡大自殺の特異性
興味深いのは、野津被告が 無差別ではなく家族を標的にした 点です。
これは2018年の宮崎県高千穂町6人斬殺事件と類似しています。
高千穂事件では「残された家族が『殺人犯の家族』として苦しむことを不憫に思い、道連れにしようとした」という動機が明らかになっています。
野津被告の「殺されるに値する人物だった」という家族への言及は 、表面上は憎悪を示していますが、深層心理では「家族を苦痛から解放する」という歪んだ利他性が働いていた可能性があります。
家族関係と社会的孤立の分析
2年間の計画期間中になぜ気づけなかったのか
野津被告が約2年間かけて犯行を計画していたにも関わらず、家族や周囲が気づけなかった理由は何でしょうか 。
精神科医の分析によると、拡大自殺を企図する人物は表面上は普通に生活していることが多く、内面の絶望感や攻撃性を隠蔽する傾向があります。
特に自閉スペクトラム症や強迫性障害などの発達障害がある場合、感情表現が乏しく、周囲が異変を察知しにくいとされています。
また、家族関係のストレスが犯行動機であった場合、当事者同士では問題の深刻さを客観視できない状況が生まれがちです。
第三者による早期介入の重要性が浮き彫りになります。
精神保健支援制度の課題
現在の日本の精神保健福祉制度では、本人が支援を求めない限り介入が困難 という構造的問題があります。
野津被告のように長期間にわたって孤立し、攻撃性を内包している個人を早期発見するシステムは十分に整備されていません。
地域の見守りネットワークや、家族からの相談窓口の充実が急務といえるでしょう。
責任能力争点の専門解説
心神耗弱と完全責任能力の判断基準
今回の裁判では、検察側が完全責任能力を主張する一方、弁護側は心神耗弱を主張しています。
この判断には以下の要素が考慮されます:
- 事理弁識能力:善悪の判断能力
- 行動制御能力:その判断に従って行動する能力
野津被告の場合、2年間の計画性や武器の選択理由(「抵抗感を軽減するため」)などから、事理弁識能力は保たれていたと判断される可能性が高いでしょう。
類似事例での判断傾向
過去の拡大自殺型事件では、計画性が認められた場合、精神障害があっても完全責任能力が認定されるケースが多くなっています。
ただし、自閉スペクトラム症などの発達障害が行動制御能力に与える影響については、個別の精神鑑定結果に大きく依存します。
防止策への提言
早期発見・介入システムの構築
拡大自殺を防ぐためには、以下の対策が必要です:
- 家族相談窓口の拡充:精神的な問題を抱える家族への相談体制強化
- 地域見守りネットワーク:孤立している個人の早期発見システム
- 学校教育での正しい知識普及:死刑制度に関する誤った認識の是正
- メディア報道の配慮:模倣犯を生まないための報道ガイドライン徹底
根本的な社会構造の見直し
より根本的には、社会的孤立や経済的困窮を生みやすい現代社会の構造的問題にも目を向ける必要はあります。
雇用の安定化、精神保健医療の充実、家族支援制度の拡大などが、長期的な予防策として重要でしょう。
まとめ
宝塚ボウガン殺傷事件で明らかになった「死刑になりたかった」という動機は、単純な家族間トラブルを超えた現代社会の深刻な病理を示しています。
拡大自殺という現象の理解を深め、早期発見・介入システムを構築することが、類似事件の防止につながるでしょう。
10月2日の次回公判での証言と、最終的な責任能力の判断に注目が集まります。
本記事は公式報道と学術研究に基づく分析であり、憶測や偏見を排除した客観的視点から執筆しています。