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サンフランシスコ講和条約 中国 不参加なのに無効主張の矛盾を解説

こんにちは、なおじです。

2025年12月2日、中国大使館がサンフランシスコ講和条約を「不法かつ無効」と主張し、大きな波紋を呼びました。しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。そもそも中国は、なぜこの条約に参加していなかったのでしょうか。

参加していない条約を「無効だ」と主張する──この矛盾した主張の背景には、1949年の中国分裂という歴史的事実があります。元社会科教師として35年間この問題を追って来た経験から、中華民国と中華人民共和国の代表権問題、そして冷戦構造の影響を論理的に解説します。

サンフランシスコ条約は、無効と主張する人物

この記事でわかること

  • サンフランシスコ講和条約に中国が参加できなかった歴史的理由
  • 中華民国と中華人民共和国の代表権問題とは何か
  • 1971年のアルバニア決議が与えた国際政治への影響
  • 中国の「無効」主張が国際法上なぜ成り立たないのか
  • 今回の中国大使館発言が示す台湾問題の本質
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目次

中国大使館の「無効」主張が示す本質的な問題

2025年12月2日、在日中国大使館は高市早苗首相が党首討論で引用したサンフランシスコ講和条約について「不法かつ無効な文書」とX(旧ツイッター)で主張しました。この発言は、高市首相が11月26日の党首討論での発言への反発です。

高市首相は「日本はサンフランシスコ平和条約で台湾に関する権利・権限を放棄しており、台湾の法的地位を認定する立場にない」と述べました。この発言が、中国にとって看過できない内容だったのです。

中国外務省の毛寧報道官も11月28日の記者会見で「サンフランシスコ平和条約は国連憲章および国際法の基本原則に反しており、台湾の主権帰属など中国の領土・主権に関わるいかなる処分も違法かつ無効だ」と主張しています。

しかし、この主張には大きな矛盾があります。

なぜなら、中国自身がこの条約に参加していなかったからです。参加していない条約を「無効」と主張する論理的な根拠は何なのか、その背景には1949年の中国分裂という歴史的事実が深く関わっています。

では、なぜ中国は参加していなかったのでしょうか。

さらに重要なのは、中国のこの主張が国際法の原則を無視している点です。

サンフランシスコ講和条約は48カ国が署名した多国間条約であり、国際社会で広く承認されています。参加していない国が「無効」と主張しても、条約の法的効力には何の影響もありません。

これは「条約法に関するウィーン条約」(1969年)で定められた国際法の基本原則です。

なおじの分析では、この中国の主張は法的根拠のない政治的プロパガンダと言わざるを得ません。

👉関連記事:台湾と中国の歴史的関係を解説!高市首相の台湾有事発言の背景

サンフランシスコ講和条約に中国が不参加だった理由

サンフランシスコ講和条約が締結された1951年9月8日の時点で、中国には2つの政府が存在していました。

1949年10月1日に成立した中華人民共和国(北京政府・共産党)と、台湾に逃れた中華民国(台北政府・国民党)です。

当時のアメリカを中心とする西側諸国は、冷戦構造の中でどちらを「正統な中国政府」として講和会議に招くべきかという難しい判断を迫られました。

イギリスは1950年1月に中華人民共和国を承認していましたが、アメリカは中華民国を支持していました。この西側陣営内部の分裂は、東西冷戦という大きな構造の中で生まれた矛盾でした。

【図表1:タイムライン表】サンフランシスコ講和条約と中国をめぐる経緯

年月日出来事意味
1945年8月15日日本降伏第二次世界大戦終結
1949年10月1日中華人民共和国成立(北京)共産党が大陸を支配
1949年12月中華民国政府が台湾へ移転国民党が台湾に逃れる
1950年1月イギリスが中華人民共和国を承認西側の分裂が表面化
1951年9月8日サンフランシスコ講和条約調印中国は招待されず
1971年10月25日アルバニア決議(国連)中華人民共和国が「中国代表」に
1972年9月29日日中共同声明日本が中華人民共和国を承認
2025年12月2日中国大使館が条約「無効」主張台湾問題で再燃

しかし、実はアメリカ自身も当初は中華民国の招待に消極的だったのです。なぜなら、1950年6月に勃発した朝鮮戦争で中華人民共和国が北朝鮮側で参戦したことにより、「中国との講和」という概念そのものが政治的に困難になったからです。

結果として、アメリカは「中華民国を招けば中華人民共和国が反発し、中華人民共和国を招けば国内の反共世論が許さない」というジレンマに陥りました。

この状況を打開するため、アメリカは**「両方とも招待しない」**という苦肉の策を選びました。これは外交上の妥協であり、国際法上の原則ではありませんでした。

教師時代、現代史の授業で「なぜ中国は講和条約に参加できなかったのか」に触れたとき、生徒のBさんから「日本と戦ったのは中華民国なのに、なんで今の中国(中華人民共和国)が文句を言うんですか?」という質問を受けたことがあります。

そのとき私は「1945年に日本と戦ったのは確かに中華民国だが、1949年に中国大陸を支配したのは中華人民共和国だ。どちらも『自分こそが中国を代表する』と主張していて、アメリカもイギリスも判断を一つにできなかった」と説明しました。

Bさんは「ああ、クラスに同じ名前の人が2人いて、先生がどっちを呼べばいいか困ってる感じですね」と言い、クラス全体が納得してくれたことを覚えています。

👉関連記事:中国が水産物輸入を再停止した理由!高市首相発言への報復を元教師が解説

中華民国vs中華人民共和国|代表権問題の本質

1949年から1971年まで、国際社会では**「どちらが中国を代表するのか」**という問題が続きました。国連での「中国代表権」は当初、中華民国(台湾)が保持していました。

これは1945年の国連創設時に、中華民国が戦勝国として常任理事国の地位を得ていたためです。

しかし、1971年10月25日のアルバニア決議により、この代表権は中華人民共和国に移行します。この決議は賛成76票、反対35票、棄権17票で可決され、中華民国は国連から追放されたのです。

日本も1972年9月29日の日中共同声明で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府である」ことを承認しています。

【図表2:比較表】中華民国 vs 中華人民共和国(1951年時点)

比較項目中華民国(台湾)中華人民共和国(北京)
成立年1912年1949年10月1日
支配政党国民党(蒋介石)共産党(毛沢東)
実効支配地域台湾、澎湖諸島中国大陸全土
国連代表権⭕ 保持(1971年まで)❌ なし(1971年まで)
米国の承認⭕ あり❌ なし
英国の承認❌ なし(1950年撤回)⭕ あり(1950年)
講和会議招待❌ なし❌ なし
戦勝国の地位主張あり主張あり

この代表権問題の背景には、国際法上の**「政府承認」**と「国家承認」の違いという複雑な概念があります。中華民国も中華人民共和国も、「中国」という国家そのものは一つであり、その政府がどちらかという主張です。

これは現代の台湾問題にも直結しています。

中華人民共和国は「台湾は中国の一部であり、中華民国という国家は存在しない」と主張し、一方で台湾(中華民国)は事実上の独立国家として機能しています。

しかし、国際社会の大多数は「一つの中国」原則を受け入れており、台湾を国家として承認する国は現在わずか十数カ国しかありません。

なおじの見解としては、この代表権問題こそが現在の台湾問題の根源です。この矛盾した状況こそが、今回の中国大使館の「無効」主張の根底にあるのです。

今回の中国大使館の「サンフランシスコ講和条約は無効」という主張は、この70年以上続く代表権問題の延長線上にあります。

中華人民共和国の立場からすれば、「自分たちこそが1945年の戦勝国であり、サンフランシスコ講和条約に参加する権利があった。参加できなかったのは冷戦という不当な状況のせいであり、条約は無効だ」という論理です。

しかし、国際法上は条約に参加していない国が、その条約を「無効」と主張する権利はありません。

これは**「条約の相対効」**という原則で、条約は締結国間でのみ効力を持ちます。教師時代、この点を生徒に教える際は「あなたが参加していない約束を、後から『その約束は無効だ』と言えますか?」という例えを使っていました。

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