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高市早苗「働いて働いて働いて」は教育勅語の影響?勤労観の変遷を元教師が徹底解説

こんにちは、なおじです。

高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という発言が2025年流行語大賞を受賞しました。

この勤労観の背景には、幼少期から繰り返し学んだ教育勅語の影響があることをご存じでしょうか。

高市氏は小学校入学前から家族で教育勅語を暗唱し、「現代でも尊重するべき」と公言してきました。

この記事では、35年間社会科教師を務めたなおじが、教育勅語の勤労観と高市氏の発言の関係、そして明治から令和までの勤労観の変遷を歴史的に読み解きます。

高市早苗首相 演説

この記事でわかること

  • 高市早苗首相が幼少期から教育勅語を繰り返し学んだ背景と経緯
  • 教育勅語が示す「勤労」の位置づけと、公共精神との結びつき
  • 明治から令和にかけての日本の勤労観の歴史的変遷
  • 教育勅語が戦争や企業の過剰労働に利用された歴史的事実
  • 現代の教育基本法に教育勅語の核が残っている理由
  • 高市首相の「馬車馬発言」と教育勅語の価値観の関係性
  • 過労死防止法と高市発言の矛盾を歴史的文脈から整理する視点
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目次

高市早苗首相と教育勅語の深い結びつき

幼少期から刷り込まれた教育勅語

高市早苗氏は小学校に入る前から教育勅語を繰り返し教えられて育ちました。

両親は教育勅語の全文を暗記しており、祖父は父親が子どもの頃、「教育勅語を言えなかったらご飯を食べさせなかった」というエピソードもあるほどです。

このような家庭環境で育った高市氏は、教育勅語の価値観を自然に内面化していったと考えられます。

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H3-2:「教育勅語大好き人間」の公言

2000年、高市氏は「森総理が教育勅語と言って叩かれてしまいましたが、私は教育勅語大好き人間」と公言しました。

さらに自身の公式ホームページでは、教育勅語の価値観を「現代でも尊重するべき」と訴え続けてきています。

しかし、首相就任後の2025年11月5日、衆議院本会議では「政府としては、教育現場で活用を促す考えはない」と明言しています。

問題は、一部メディアを中心に、これを「姿勢の転換」ととるとらえがあることです。

ですが高市氏は、初めから「教育勅語」を教育の場に復活させるなどという意見は持っていません。

相変わらずの偏向報道?

現代は、「教育基本法に従って教育が行われる」、そのことを否定するものではないのです。

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教育勅語が示す「勤労」の位置づけ

「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」の本質

教育勅語は1890年(明治23年)に発布された全315字の国民道徳の基本です。

12の主な徳目の中に「学ヲ修メ業ヲ習ヒ(学問を修め、職業を学ぶ)」という勤労に関する教えが含まれています。

この教えは単なる「働け」という命令ではなく、自己研鑽と社会貢献を一体化した勤労観を示しています。

【教育勅語の骨子】

区分徳目(現代語イメージ)内容の骨子
1親孝行父母をうやまい、大切にすること。
2兄弟姉妹の和兄弟姉妹・家族が仲良く助け合うこと。
3夫婦の調和夫婦が互いに信頼し、睦まじく暮らすこと。
4友人との信義友人と誠実に付き合い、信義を守ること。
5謙虚と慎みつつしみ深く、謙虚な態度でふるまうこと。
6博愛・他者への思いやり広く人々を愛し、思いやりをもって接すること。
7学問と職業への励み(勤労観)学問をおさめ、仕事・技術を身につけるよう努力すること。
8知識の育成と人格陶冶知識を養い、人格を磨いて立派な人間になること。
9公共心・社会貢献公共の利益のために尽くし、社会に役立つ行動をすること。
10法令遵守法律や規則を守り、社会秩序に従うこと。
11正義感・勇気正しいことのためには勇気をもって行動すること。
12天皇・国家への忠誠緊急時には国家のため、天皇のために身をささげる覚悟を持つこと。

「公のために尽くす」との一体性

元教師として私が重要だと思うのは、教育勅語の「勤労」が「義勇公ニ奉シ(公共のために尽くす)」という徳目とセットになっている点です。

つまり、個人の利益のためだけに働くのではなく、「国のために働く」という思想が強く込められていました。

明治政府は西洋列強に追いつくため、国民に「富国強兵を担う有能な人材」としての自覚を求めたのです。

高市氏の「馬車馬のように働く」「国家国民のため、果敢に働いてまいります」という発言は、まさにこの教育勅語の勤労観を体現していると整理できるのです。

明治から令和へ|勤労観の歴史的変遷

【表:日本の勤労観の変遷】

時期勤労観の特徴社会背景キーワード
明治・大正期(1890〜1926年)国家への奉仕としての勤労富国強兵・殖産興業教育勅語の発布
昭和戦前期(1926〜1945年)戦争協力としての勤労学徒動員・軍需工場勤労奉仕
昭和戦後〜高度成長期(1945〜1990年代)企業戦士としての勤労高度経済成長過労死(Karoshi)
平成〜令和(2000年代〜現在)ワークライフバランス重視働き方改革過労死防止法(2014年)

明治期|「富国強兵」のための勤労

教育勅語が発布された明治期、勤労は国家への奉仕と結びついていました。

「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、国民は国の発展のために働くことが美徳とされていたのです。

工場労働が始まり、生活と働くことの一体性が崩れ始めたのもこの時期です。

昭和戦前期|戦争協力としての勤労

戦時体制下では、勤労は戦争協力そのものとなりました。

学生は学徒動員、女学生は軍需工場へ勤労動員され、小学生の通信簿にも「私ハテンノウヘイカノ赤子デス/奉公の誠ヲ致シマス」と記されていたことは事実です。

そこで教師たちは「教え子を戦場に送った」痛恨の体験から、戦後「教え子を二度と戦場に送らない」と決意しました。

これが教育勅語が戦争に利用された歴史的事実です。

高度成長期|「企業戦士」の時代

戦後、教育勅語は1948年に衆参両院で排除・失効確認決議が採択され、法的効力を失いました。

しかし高度成長期には「企業戦士」という新たな勤労観が生まれたのです。

会社のために長時間働くことが美徳とされ、過労死という言葉が国際語(Karoshi)になったのもこの時期です。

このことから、「公のために尽くす」という教育勅語的な価値観が、企業という単位に置き換わって利用されたと、きょぅしとして整理しています。

👉関連記事:最低賃金1118円ショック!あなたの給料と働き方が激変する理由

平成〜令和|働き方改革の時代

2014年に過労死防止法が成立し、働き方改革が進められました。

「ワークライフバランス」が重視され、長時間労働は悪とされる価値観が定着しつつあります。

しかし高市氏は総裁選で「私自身ワークライフバランスという言葉を捨てます」と宣言し、昭和的な勤労観への回帰を示唆しました。

これが過労死遺族から「古くからの精神主義の復活」と批判される理由です。

高市氏が述べた「私自身も」の「も」とはだれを指すのか

高市氏が総裁選の勝利演説で語った「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます」の「も」は、文脈上きわめて重要です。

この「も」は、高市氏を含めた「国会議員など」(特別職公務員)を指していると整理できます。

「私自身含めた国会議員(特別職公務員)も」です。

国会議員は有事や災害時に即応できるよう、一般人とは異なる厳しい法的ルールのもとで働くことが求められています。

したがって、高市氏の発言は、国会議員たちに対する自己犠牲的な働き方の要求として読む方が自然です。

一般国民に向けて「あなたたちも馬車馬のように働け」と命じたものではありません。

それを、一部の報道が「国民全体への号令」として拡大解釈して伝わるようにした結果、メッセージが歪められた面があると考えられます。

国会議員が労働基準法に縛られない法的根拠

1. 国家公務員法上の位置づけ

国会議員は**国家公務員法第2条で「特別職国家公務員」**に分類されています。

特別職国家公務員については、同法の適用が除外されており、労働基準法も適用対象外となるのです。

2. 労働基準法の適用対象外の理由

労働基準法は「使用者に雇用される労働者」を保護する法律です。

国会議員は以下の理由で「労働者」に該当しません:

  • 雇用関係がない:国民の選挙によって選ばれる「公職者」であり、誰かに雇われて働いているわけではない
  • 憲法第15条の「全体の奉仕者」:国会議員は国民全体への奉仕が職務であり、労使関係を前提とする労働基準法の枠組みになじまない

3. 適用される法律

国会議員の報酬や勤務については、労働基準法ではなく以下の法律が適用されます:

  • 国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律(歳費法):報酬・手当を規定
  • 国会法:国会の会期、委員会の開催など勤務の枠組みを規定

4. 実務的な影響

労働基準法が適用されないため、国会議員には以下の規制がありません:

  • 労働時間の上限(1日8時間、週40時間)
  • 時間外労働(残業)の上限規制
  • 休日・休暇の保障
  • 最低賃金の適用

つまり、**国会議員は法的に「無制限に働くことができる(働かざるを得ない)立場」**に置かれているのです。

教育勅語の核は現代にも残っている

教育勅語の優れた点を冷静に評価する

元教師として私は、教育勅語の内容そのものには優れた点があると考えています。

「親を大切にする」「兄弟仲良くする」「学問を修める」といった徳目は、時代を超えて普遍的な価値を持つからです。

問題は、これらの徳目が「国家のため」という文脈で利用されたこと。

戦争や過剰労働の正当化に使われたという、歴史的事実にこそあります。

教育基本法に受け継がれた核

実は、現在の教育基本法にも教育勅語の核となる部分が残っているのです。

教育基本法第2条には「公共の精神」「勤労を重んずる態度」が明記されているのです。

これは教育勅語の「義勇公ニ奉シ」「学ヲ修メ業ヲ習ヒ」と通底する概念そのものです。

もちろん[緊急時には国家のため、天皇のために身をささげる覚悟を持つこと。]という部分は否定されています。

つまり、教育勅語そのものを否定するのではなく、その普遍的な価値を現代的に再構成したのが教育基本法だと位置づけられているのです。

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H3-3:高市発言をどう捉えるか

高市氏の「働いて×5」発言は、幼少期から刷り込まれた教育勅語の勤労観の現代的表現と言えるでしょう。

教育勅語、というと言葉に違和感を持つのであれば、

「教育基本法」ならびに、「国家公務員法」にのっとった発言です。

一般の我々に向けた言葉ではなく、国家公務員である私(高市氏)自身をはじめとする、国会議員、官僚に向けた言葉です。

現代では過労死防止法があり、労働時間規制も厳格化されています。

政治家個人の覚悟と、国民に求める働き方は区別すべきです。

メディアは、一方的な側に立つような報道を控えて、冷静に公平に報道する姿勢を望みます。

誤解を助長するような報道は、現に慎むべきではないでしょうか。

そのうえで、授業で私が生徒に伝えるなら、「私たちは、自分と家族のために働き、その結果として社会に貢献する」というバランスが大切だと話すでしょう。

👉関連記事:高市内閣支持率69%維持の理由は?物価高対応を元教師が分析

Q&Aで振り返る高市早苗と教育勅語

Q1:高市首相は今でも教育勅語を評価しているのですか?

A:首相就任後は「教育現場で活用を促す考えはない」と述べていますが、過去の発言や幼少期からの価値観を考えると、根底にある勤労観は変わっていないと見られます。政権担当者としての現実的判断と、個人の信条のバランスを取っている状態です。

Q2:教育勅語の勤労観は現代でも通用しますか?

A:「学問を修め、職業を学ぶ」という自己研鑽の教えは普遍的です。しかし「国のために働く」という公共精神が過度に強調されると、個人の健康や生活を犠牲にする危険性があります。現代では、自分と家族のために働き、結果として社会に貢献するというバランスが重要です。

Q3:教育勅語が戦争や過労に利用された理由は?

A:教育勅語の「公のために尽くす」という徳目が、戦時中は「国家への絶対服従」、高度成長期は「企業への滅私奉公」という形で曲解されたためです。教育勅語そのものの内容と、その利用のされ方は区別して考える必要があります。

Q4:現代の教育基本法に教育勅語の核が残っているとは?

A:教育基本法第2条に「公共の精神」「勤労を重んずる態度」が明記されており、これは教育勅語の普遍的価値を現代的に再構成したものです。戦争や過労への利用を排除しつつ、徳目の本質は継承されていると整理できます。

Q5:「働いて×5」発言と教育勅語の関係は?

A:高市氏の発言は、幼少期から刷り込まれた教育勅語の「公のために尽くす勤労観」の現代的表現です。ただし政治家個人の覚悟と、国民に求める働き方は区別すべきであり、過労死防止法との整合性も問われています。

筆者紹介|なおじ

元社会科教師として35年間、小学校と中学校の教壇に立ってきました。

現在は7つのブログでドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学びをテーマに執筆しています。

B群の記事では、制度の背景や歴史的文脈を丁寧に解説し、「わかりやすく、でも深く」がモットーです。

教育勅語についても、戦争や過労への利用という歴史的事実を踏まえつつ、その核となる普遍的価値を冷静に評価する姿勢を大切にしています。

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