国際連合は、第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年につくられました。目指したのは、国どうしが協力して、次の世界大戦を防ぐこと。
それなのに、平和を守る組織が、大国の反対で動けなくなるのはなぜでしょうか。
なおじ〔筆者)は国際連盟を初めて学んだとき、その理念に期待を抱きました。だからこそ、今の国連にも感じるもどかしさ。この記事では、国際連盟との違いから、国連が変えた点と、今も抱える限界を考えます。

国際連合はなぜつくられたのか
国際連盟ができたのは1920年。それから約20年後、世界は再び大戦に突き進みました。国連の設立は、この失敗を踏まえて平和を守る仕組みをつくり直す試みです。
国際連盟は、第二次世界大戦を防げなかった
第一次世界大戦後に発足した国際連盟は、国際協力を進め、紛争を平和的に解決しようとする組織でした。
ところが、設立を提唱したウィルソン大統領の国、アメリカが不参加。日本やドイツも後に脱退し、主要国を含む協力の輪が弱まっていきます。
国連ジュネーブ事務局による国際連盟の紹介にも、アメリカが一度も加盟しなかったことが記されています。
意思決定は原則として全会一致。
さらに、決めた措置を実行するにも、加盟国の協力が必要でした。
規則をつくっても、それを支える国が参加せず、離れていく。国際連盟の難しさは、決め方だけにあったわけではないのです。
アメリカの不参加と、日本やドイツの脱退。
こうして国名を並べると、なおじには、制度を整えること以上に、各国の協力を保ち続ける難しさが見えてきます。
連合国を中心に、1945年に国連が発足
国連の構想は、第二次世界大戦中から進められていました。中心となったのは、アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国などの連合国。
戦争が終わってから、世界の国々が白紙の状態で集まってつくったわけではありません。
1945年6月26日、サンフランシスコ会議に参加した各国の代表が国連憲章に署名。
同年10月24日に憲章が発効し、国際連合が正式に発足しました。
国連公式の創設史が伝えるのは、世界大戦の惨禍を経て、次の戦争を防ぐ組織をつくろうとした歩みです。
ただ、その仕組みを設計する中心には、戦時中から協議を進めていた国々がいました。
世界の平和を目指す理念と、連合国を中心に築かれた戦後秩序。
この二つが、国連の出発点に重なっています。
国際連盟と国際連合の違いは何か

大きく変わったのは、アメリカの参加、意思決定の方法、平和を守る措置を決める仕組みです。
まず、基本事項を比べてみましょう。
| 項目 | 国際連盟 | 国際連合 |
|---|---|---|
| 発足年 | 1920年 | 1945年 |
| 設立の背景 | 第一次世界大戦の反省 | 第二次世界大戦と国際連盟の反省 |
| 本部 | ジュネーブ | ニューヨーク |
| アメリカ | 加盟しなかった | 創設時から加盟 |
| 意思決定 | 総会・理事会は原則全会一致 | 総会は多数決。安保理には常任理事国の拒否権 |
| 平和を守る措置 | 経済制裁などを規定。兵力提供の勧告規定もあった | 安保理による非軍事的・軍事的措置を規定 |
アメリカが参加し、国連総会では多数決を採用。
一方、安全保障を担う安保理には、常任理事国の特別な権限が組み込まれました。
単に「全会一致から多数決へ」と変わっただけではないところが、比較の要点です。
アメリカの参加――主要国を含む枠組みへ
国際連盟では、提唱国のアメリカが加盟しませんでした。一方、国連では創設に参加し、常任理事国の一つに。
米国務省の国連創設史には、1945年に上院が国連憲章を承認した経緯が記されています。
同じアメリカでも、二つの組織への関わり方は大きく異なりました。
国際政治で大きな力を持つ国が、組織の外にいるのか、中にいるのか。その違いは小さくありません。
もっとも、参加すれば、いつでも協力してくれるわけではない。
国連を見るたびに、なおじはその難しさも感じます。
意思決定――多数決を取り入れ、安保理には拒否権
国際連盟の総会・理事会は、原則として、会議に代表を出している加盟国の全会一致でした。ただし、手続事項などには例外があります。
国連総会は、多数決を採用。重要問題は出席して投票する国の3分の2以上、それ以外は原則として過半数の賛成で決定します。
これに対して、安全保障理事会は別の仕組み。
現在は15か国中9か国以上の賛成が必要で、制裁などの実質事項では、常任理事国が1か国でも反対すると採択できません。
この反対によって採択を阻む力が、拒否権です。常任理事国の棄権は、それだけで拒否権の行使にはなりません。
国際連盟規約第5条と国連憲章第18条・第27条を比べると、両者の決め方の違いが分かります。
総会の多数決と、安保理の拒否権。どちらも国連の制度ですが、採決する機関によって条件が異なるのです。
平和を守る措置――決定を実行する仕組みを強化
国際連盟規約第16条には、一定の規約違反の戦争を行った加盟国に対して、他の加盟国が経済・金融関係などを断つ仕組みがありました。
理事会が、加盟国の提供すべき兵力を勧告する規定もあります。
国連では、平和への脅威などを安保理が認定し、必要な措置を決める仕組みへ。
憲章第41条は経済関係の中断など、第42条は必要な場合の軍事的措置を定めています。
さらに、加盟国は憲章第25条に基づき、安保理の決定を受け入れ、履行することに同意しました。連盟にも制裁の規定はありましたが、国連では、安保理に判断と決定の権限を持たせ、加盟国の履行義務を明記したのです。
ただし、国連も各国から独立した常設の軍隊を持つわけではありません。
安保理が措置を決めても、制裁を実施し、必要な人員や部隊を提供するのは加盟国側。
決定する安保理と、実行を担う各国。
その両方が動かなければ、決議は現地の平和に結び付きません。
国連はなぜ、大国を止められないことがあるのか

安保理の実質事項では、9か国以上の賛成だけでなく、常任理事国の反対がないことが必要です。この条件が、大国どうしの対立する問題で行き詰まりを生みます。
大国の協力を求める仕組みが、限界にもなる
現在の常任理事国は、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの5か国です。
国連の表決制度の説明は、創設に重要な役割を果たした大国の特別な地位と、拒否権の関係を示しています。
国際連盟にはアメリカが参加せず、国連には主要国が参加した。この違いを踏まえると、なおじには、拒否権も、大国を組織につなぎ留めて協力を得ようとする制度の一面として見えてきます。
けれど、平和を守る責任を負う国が、平和を守るための決定を止められる。
ここに、どうしても引っかかるのです。
国連憲章第2条は加盟国の主権平等を掲げています。
ところが、安保理の決定を止める権限は5か国だけ。
平等という理念と、大国の特別な地位が、同じ憲章に収められているわけです。
創設時の戦争の区分が条文に残る例には、日本に関わる旧敵国条項もあります。今の国連を考えるときも、1945年の出発点は遠い昔の話になっていません。
では、死文化したとされる旧敵国条項は、なぜ今も残っているのでしょうか。死文化と、憲章から正式に削除することの違いは、次の記事で詳しく取り上げています。
戦争を止められないことと、国連が無意味なことは違う
安保理で決議が止まる一方、紛争の仲介や予防、人道支援などの仕事は続いています。
国連と関連機関の活動は、安保理の採決だけではありません。
国連広報センターの平和と安全に関する説明も、交渉や紛争予防、和平後の支援を紹介しています。
もちろん、その仕事が、戦争を止められない悔しさを消すわけではない。
それでも、なおじには、続いている協力まで無意味とは思えません。
国際連盟を初めて学んだときは、こうした組織があれば平和を守れるのではないかと期待しました。
けれど、2022年2月25日の安保理では、ウクライナへの攻撃停止と軍の撤退を求める決議案に、ロシア自身が拒否権を行使。11か国が賛成しても、決議案は採択されなかった。
国連による当日の採決記録では、反対はロシア1か国。平和を守る責任を負う国が、自国への撤退要求を止めたのです。
また、中国についても、2022年8月、国連人権高等弁務官事務所が新疆ウイグル自治区での重大な人権侵害を指摘しました。その評価報告は、ウイグル族などへの恣意的・差別的な拘禁が、人道に対する罪に当たる可能性を示しています。
こちらは安保理の拒否権とは別の問題です。それでも、国連の人権機関から重大な侵害を指摘された国が、安保理では特別な権限を持つ。その隔たりにも、なおじは立ち止まります。
国連の理念に期待したからこそ、「これで平和を守れるのか」という思いが残るのです。
子どもたちに国連を伝えるなら、この矛盾も一緒に渡したい。
「国連があるから安心」という説明だけでは、今起きていることに答えられないからです。
よくある質問
国際連盟と国際連合の本部はどこですか。
国際連盟の本部は、スイスのジュネーブにありました。一方、国際連合の本部はアメリカのニューヨーク。
現在のジュネーブにも国連事務局があるため、少し紛らわしいですね。「国連の本部はニューヨーク、活動拠点はほかの都市にもある」と考えると分かりやすいでしょう。
国際連盟は、国際連合ができる前になくなったのですか。
実は、国連ができたあとも、国際連盟はしばらく残っていました。
国連の発足は1945年10月、国際連盟の解散は1946年4月。約半年間、二つの組織が並んで存在していたのです。
連盟がなくなった翌日に、国連へ切り替わったわけではありません。
日本は国連発足時から加盟していたのですか。
日本の加盟は、国連発足から11年後の1956年12月18日でした。
加盟を申請したのは1952年。ところが、安保理でソ連が拒否権を使い、すぐには認められなかったのです。
その後、1956年に日本とソ連の国交が正常化し、国連加盟も実現しました。
拒否権は、遠い国の出来事だけではありません。日本も、国連に入る段階でその壁にぶつかったわけです。
国連広報センターの「国連と日本」年表に、申請から加盟までの経緯が記されています。
国際連盟の常任理事国と、国連の常任理事国は同じですか。
同じではありません。国際連盟の発足時には、日本も常任理事国でした。
当初の4か国は、イギリス、フランス、イタリア、日本。一方、現在の国連安保理の5か国は、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアです。
今の顔ぶれと比べると、日本とイタリアが入っていたことが目を引きますね。なお、国際連盟の常任理事国も、途中の加盟や脱退などによって変わっています。
筆者紹介|なおじ
公立小・中学校で約35年間教員を務め、校長を11年間経験。指導主事として学校教育にも携わりました。
全国中学校社会科教育研究会元理事、元茨城県社会科研究部長として、社会の仕組みと歴史を学ぶ意味を考えてきました。
この記事では、国連憲章や国際連盟規約などの資料を土台に、制度の事実と筆者自身の見立てを分けて記しています。
現在は8つのブログで、ドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評といった分野を横断しながら、「人の生き方」と「社会とのつながり」をテーマに記事を書き続けています。
